日本語学会2015年度春季大会
開催概要
- 会期
- 2015年5月23日(土) ~ 5月24日(日)
- 開催地
- 近畿 > 兵庫県
- 会場
- 関西学院大学 西宮上ヶ原キャンパス[アクセス]
〒662-8501 兵庫県西宮市上ケ原一番町1-155 - メインテーマ
- シンポジウム:「うた」の日本語研究
- 公式サイト
- http://www.jpling.gr.jp/taikai/2015a/
- 主催
- 日本語学会
プログラム 日程
5月23日(土)
口頭発表[B号館]13:00~18:00
A会場[B号館 2階 203教室]
- 補助動詞「ておく」の多義構造と派生関係
崔柳美(東北大学学生) - 無生物他動詞文の日中対照研究―連語論的アプローチへの試み―
麻子軒(大阪大学学生) - 文末に現れる接続助詞カラの対人的機能に関する研究
孫思琦(筑波大学学生) - モダリティとポライトネスとの接点を探って―「カモシレナイ」の用法を中心に―
隋暁静(北海道大学学生) - 日本語ナラティブにおける視点の研究―the Pear Story を用いて―
藤永清乃(東京大学学生) - Yes/No ノ無し疑問文と代弁的質問
林淳子(東京大学学生)
B会場[B号館 2階 202教室]
- 近世文学板本における使用仮名字体の通時的変化
久田行雄(大阪大学学生) - ケンペル『日本誌』手稿における仮名の分類と刊本での変改
岡田一祐(北海道大学) - 中古和文の準副体助詞と連体助詞―現代語の準副体助詞との対照―
富岡宏太(國學院大学学生)、林田明子 - 中古・近代間の日本語主語標示の継承性
廉田浩 - 橋本宗吉『三法方典』の音訳漢字表記について
丸山健一郎(同志社大学学生) - 黒川真頼の活用研究―ラ行変格活用を中心に―
遠藤佳那子(上智大学)
C会場[B号館 3階 303教室]
- 自然談話における「共話」の展開形式と機能
李舜炯(首都大学東京学生) - 新聞投書の文章の「文章型」の分析と考察
金沢じゅん(東京大学学生) - 語種比率・品詞比率からみた現代点字新聞と近代点字新聞の語彙的特徴
羽山慎亮(名古屋大学学生)、中野真樹 - 依頼談話の世代差・実時間経年差―大分県方言60年の3世代実時間経年資料を中心として―
杉村孝夫(福岡教育大学) - 等語線の引き方
荻野綱男(日本大学) - 日数詞の古形・祖形と沖縄・奄美方言
安田尚道(青山学院大学)
懇親会 18:30~20:30
会場:関西学院会館レセプションホール
会費:〈事前申込 ※5月13日(水)まで〉一般 5,000円、学生 3,000円 〈当日申込〉一般 6,000円、学生 4,000円
5月24日(日)
ブース発表[B号館]10:00~11:00
D会場[B号館 1階 104教室]
- 大阪日本橋における言語景観と街のなりたち―電気とサブカルチャーの街の多言語化と地域的特徴について―
磯野英治(大阪大学)、上仲淳、大平幸、田中真衣 - 方言会話の記録に関する一つの試み
坂喜美佳(東北大学学生)、佐藤亜実、内間早俊、小林隆 - 方言の字幕について考える―「方言でやっぺ!名取閖上版桃太郎」を例に―
櫛引祐希子(追手門学院大学) - 狂言台本の形態素解析
小木曽智信(国立国語研究所)、鴻野知暁、市村太郎 - 『虎明本狂言集』コーパスの公開
市村太郎(国立国語研究所)、渡辺由貴、鴻野知暁、河瀬彰宏、小林正行、山田里奈、堀川千晶、村山実和子、小木曽智信、田中牧郎 - 学術情報交換のための変体仮名セット
高田智和(国立国語研究所)、銭谷真人、斎藤達哉、矢田勉、小助川貞次、當山日出夫
《昼休み》11:00~12:10
会員総会[中央講堂]12:10~12:30
大会式典[中央講堂]12:30~12:50
会長挨拶 上野善道
開催校挨拶 大橋毅彦(関西学院大学文学部長)
学会賞授賞式
シンポジウム[中央講堂]13:00~16:00
「うた」の日本語研究
【趣旨】
我が国における言語研究の起源が歌学にあることは、国語学史の常識に属することがらでしょう。その伝統を受け継ぐ形で、近代以降の国語学研究においても、文法史研究を中心に、和歌はその資料として大きな位置を占めてきました。
しかし、その後の研究史において、研究の主題が文語における助詞・助動詞の用法を中心とした所謂「古典文法」の記述から各時代の口語文法の記述へと、さらに口語変化のダイナミズムや統語組織の変化を解明すること等へと進展してきたことで、和歌の国語研究資料としての重要性は相対的に大きく低下しました。また、現代語研究では、もとより内省やコーパスを用いたディスコース中の自然な発話の分析を優先しており、現代短歌や歌謡曲の歌詞などを分析する研究などもあるものの、やや特殊な領域と見なされています。
そのような研究状況の変化に合理的理由があったことはもちろんです。「国語学」が「国文学」の補助学問という立場から、独立した一個の学問となるにあたって必要な脱皮であったという側面もあるでしょう。しかし、改めて考えれば、韻文=「うた」の持つ言語生活上に占める位置の大きさは、古典世界において紛れもないことであるばかりでなく、現代においても詩歌・歌謡曲・民謡等を思い浮かべれば分かるように、決して喪失されたわけではありません。「うた」の言語の命脈は、連綿として保たれています。言語を自律的・客体的存在として捉える一方で、その文化的側面に思いを馳せたとき、言語文化の精粋とも言える「うた」の分析に資することが出来ない言語研究というものの不全性について、まずは疑いを持ってみることは、全ての言語研究者にとって大切な視点でありましょう。そしてまた、言語文化の精粋であるということは、言語記号として、自然な発話とは対極的な意味でのある種の純粋さを、「うた」が有しているということでもあります。そうした「うた」の言語だからこその特質を照射することで、言語の本質の一端がより鮮明に炙り出される可能性も、忘れ去ることは出来ません。
以上のような所を踏まえ、本シンポジウムでは、「うた」の日本語研究が持つ可能性について、再検討を試みます。そのことにあたって、「国語学」とは別の思想的枠組みから「うた」について深く追究してきた文学および言語美学の視点を、改めて御紹介いただきます。それを通じて、かつては密接な間柄にありながら、専門性の深化と引き替えに溝の生じてしまった感もある文学・美学と言語研究との関係について、捉え返す契機をも探りたいと思います。
【パネリスト】
浅田徹(お茶の水女子大学)
多門靖容(愛知学院大学)
尼ヶ崎彬(学習院女子大学)
【司会】
矢田勉(大阪大学)
【企画担当】
矢田勉、小野正樹