
西国三十三所 草創1300年記念 特別展「聖地をたずねて─西国三十三所の信仰と至宝─」
西国三十三所は、閻魔大王のお告げを受けた大和国長谷寺の開基・徳道上人が人々を救うために定めたと伝わる33の観音霊場を巡る、日本最古の巡礼路です。 巡礼路の総距離は約1000キ…
西国三十三所は、閻魔大王のお告げを受けた大和国長谷寺の開基・徳道上人が人々を救うために定めたと伝わる33の観音霊場を巡る、日本最古の巡礼路です。 巡礼路の総距離は約1000キ…
関ヶ原合戦の後、世が落ち着きつつあった17世紀初頭、「かぶき者」と呼ばれる人たちが出現しました。彼らは異様な風体をし、常軌を逸した行動で知られる存在でした。その「第一」といわれた…
登録有形文化財「旧南方家住宅」(南方熊楠邸)は、南方熊楠が1916(大正5)年から亡くなるまでの25年間を過ごした邸宅です。敷地内の広い庭は、熊楠にとって重要な植栽、観察、研究の場…
千利休亡き後、秀吉によって「天下一」の茶人に指名されたのは古田織部でした。後に織部は、徳川二代将軍秀忠の茶の湯指南役となり、茶会の式法などを整備していきます。同時に「へうけもの」…
18世紀の上方の画壇は、狩野派、土佐派、文人画派、長崎派、円山派など、文字通り多士済々の様相を呈していました。中でも、円山応挙(1733-1795)の写生画は京都で大流行します。そ…
四天王(持国天・増長天・広目天・多聞天)は、須弥山世界の四方にいて、仏教世界や仏法を守るカミです。このうち北方を守護する多聞天は、「毘沙門天」の名で単独の像としても造像、信仰され…
仏像などの彫刻をつくる際、仏師たちは「雛型」と呼ばれる模型を使用しました。大きな仏像をどのようにして効率的に彫るかを考えるため、または注文主である施主や発願者にみせる完成予想図と…
われわれのご先祖さまは、神さまをどのような姿と考えていたのでしょうか。今にのこる神々の像は、貴族のような姿のものあり、甲冑をまとって怒りの表情のものあり。さまざまな姿をしています。…
来年のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公明智光秀と、その盟友細川幽斎(藤孝)は武将の中でも特に教養の高い文化人でした。光秀が本能寺の変直前に愛宕山で百韻連歌を催したことや、幽…
悠久の歴史を刻む中国の仏像。それを受容してきた日本の視点で設み解きながら通観する展覧会です。日本にはいつの時代にも中国でつくられた多くの仏像や仏画がもたらされ、日本の仏像のすがたに…